【小説】風葬の都に咲く花 外伝短編集

小説

『結び子リノと、ほどける夜』

収録方針

  • 主人公:リノ

  • 舞台:風葬の都アウステラ(日常側)

  • テーマ:「縫わない」「結び直せる」「空っぽのまま支える」

  • 中学生でも読みやすい文体


第一話 ほどけない靴ひも

朝の市場は、人の足音でいっぱいだった。
リノは石段に腰かけ、靴ひもを結び直している男を見ていた。

男は何度結んでも、すぐにほどけてしまう。
強く引くほど、ひもはきしんで、最後には指が止まった。

「……どうしてだ」

リノは立ち上がり、そっと近づく。

「結び方、変えてみる?」
突然声をかけられ、男は驚いた。

「蝶結びじゃなくて、輪をひとつ多く作るの」
リノは自分の靴を見せる。

男は半信半疑で真似をした。
今度は、ほどけない。

「おお……」
男は目を丸くする。
「きつくしてないのに」

「きついと、逃げたくなるから」
リノは当たり前のことのように言った。

男は少し笑って、礼を言った。
歩き出す背中は、さっきより軽い。

リノは思う。
結び目は、強さじゃない。
戻れる余白だ。


第二話 声をしまう箱

鐘楼の裏で、リノは小さな木箱を拾った。
中を開けると、何も入っていない。

「空っぽ……」

その夜、近所の女の人が泣いていた。
声を出さず、肩だけが揺れている。

「どうしたの?」
リノが聞くと、女の人は首を振る。

「泣くと……声が、戻らなくなる気がして」

リノは木箱を差し出した。
「ここに、しまっていいよ」

「……声を?」
「うん。一晩だけ」

女の人は戸惑いながら、箱を胸に抱いた。

翌朝、箱は返ってきた。
中は、やっぱり空っぽ。

でも、女の人は言った。
「昨日ね、ちゃんと泣けた」

リノは箱を閉じる。
声は、しまわなくても戻る。
ただ、戻ってもいい場所があれば。


第三話 名前を呼ぶ練習

夕方の広場で、リノは小さな子どもと向き合っていた。
その子は、名前を呼ばれると固まってしまう。

「……こわいの?」

子どもはうなずいた。
「呼ばれると、悪いことが起きる気がする」

リノは少し考えたあと、自分の名前を指さす。

「じゃあ、わたしから」
「リノ」

何も起きない。

「もう一回」
「リノ」

風が吹いただけだ。

子どもは小さく息を吸う。
「……リノ」

「うん」

「……ぼくの、名前」

リノはすぐに言わなかった。
ただ、子どもの手を握る。

「呼ばれなくても、いていい」
「でも、呼びたくなったら、いつでも」

子どもは笑った。
その笑顔は、呼ばれる前から、ちゃんとそこにあった。


収録後記(短編集用・作中)

結び目は、ほどける。
でも、結び直せる。

縫わない手は、遅い。
でも、逃げ場を残す。

風葬の都では、
今日も小さな結び目が、
名前のない夜を支えている。


第四話 泣かない鐘

風葬の都の端に、
もう鳴らなくなった小さな鐘がある。

鐘楼ではない。
道の角に吊るされた、掌ほどの鐘だ。

「昔はね、誰かが亡くなると鳴ったの」

近所のおばあさんが、リノに教えてくれた。
「でも、今は鳴らない。壊れたんだろうね」

リノは鐘を見上げた。
風は吹いているのに、音はしない。

「……泣かなくなっただけかも」

おばあさんは首をかしげた。

その夜、リノは小さな糸を持って鐘の下へ行った。
鐘を縛らない。
吊るし直すわけでもない。

ただ、鐘の舌(ぜつ)と、風の通り道を
ゆるく、結んだ

翌朝。

カラン。

とても小さな音だった。
泣くような音ではない。
誰かを呼ぶほど大きくもない。

それでも、おばあさんは目を細めた。

「……鳴ったね」

「うん」
リノはうなずく。
「泣かないけど、いるって言ってる」

鐘はそれから、たまに鳴る。
大事なときだけ。


第五話 結ばない約束

広場の木陰で、リノは二人の子と向き合っていた。
兄と妹だ。

「約束したのに!」
「してない!」

二人の間に、張りつめた空気。
よくある喧嘩。でも、今日はほどけない。

「結び直す?」
リノが聞くと、二人は同時に首を振った。

「結ぶと、守らなきゃいけない」
兄が言う。
「守れなかったら、悪い人になる」

妹も小さくうなずいた。

リノは少し考えてから、糸をしまった。

「じゃあ、結ばない」

二人は驚く。

「代わりに、“置いておく”」
リノは地面に小石を二つ置いた。
「これ、約束の場所。来ても来なくてもいい」

「……それで、いいの?」
妹が聞く。

「うん。戻りたくなったら、ここに来ればいい」

夕方、リノが通りかかると、
二つの小石は少し近づいていた。

結ばない約束も、
歩けば、距離は変わる。


第六話 空っぽの椅子

広場の片隅に、
誰も座らない椅子がある。

壊れてはいない。
ただ、いつも空いている。

「前にね」
花屋のおじさんが言った。
「ここに座ってた人が、いなくなった」

死んだのか、旅に出たのか、誰も知らない。

リノは椅子の前に立ち、しばらく考えた。
そして、椅子に何も置かず、何も結ばず、
ただ、足元に小さな花を一輪置いた。

「座らなくていいよ」
小さく言う。
「空いてていい」

次の日、その椅子には、
疲れた人が少しだけ腰かけていた。

また次の日には、別の人が。

誰も長くは座らない。
でも、誰も追い払われない。

空っぽのままの椅子は、
通り道になった。

リノは思う。
空席は、埋めなくても役に立つ。


短編集・最終後記

結び目は、ほどける。
約束は、置いておける。
椅子は、空いていていい。

縫わない世界は、不器用だ。
時間もかかる。

それでも、
誰かが戻ってくる場所だけは、
ちゃんと残る。

風葬の都アウステラで、
結び子リノは今日も、
結びすぎない手で、夜を支えている。


🌙 リノ編・最終話(成長後)

終章 風の向こうで、結び直す

風の音は、昔より低くなった。
アウステラの屋根を鳴らす骨の風見は、
もう数を数えなくても、どれがどれだかわかる。

リノは、広場の端に立っていた。

もう、子どもではない。
背は伸び、声も変わった。
それでも、針は持っていない。

腰の袋には、糸が少し。
結ぶためではなく、ほどけたときのためだ。

「……久しぶり」

声をかけられて、振り向く。
かつて願い袋を受け取った少年――
今は、旅の支度をした青年が立っていた。

「行くの?」
リノが聞く。

「うん」
青年は笑った。
「眠れなかった町から、眠れる場所へ」

リノは何も渡さなかった。
袋も、糸も。

代わりに、言う。

「戻ってもいいよ」
「結び直せる」

青年は頷いた。
それだけで、十分だった。

夜。
リノは広場の椅子に座る。
あの、空っぽの椅子の隣だ。

誰もいない。
でも、空いている。

風が吹く。
どこかで、小さな鐘が鳴る。

リノは目を閉じ、思う。

縫わなくていい。
決めなくていい。
空っぽのまま、置いておける。

結び子の仕事は、
結ばない勇気を、渡すことだった。

風の向こうで、誰かが立ち止まる。
そして、また歩き出す。

それを見送れるなら、
リノはもう、十分だった。

夜はほどける。
それでも、道は残る。

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